12月初の週末1日と2日、滋賀県に出張しました。2日に開かれる滋賀県の民団創立70周年記念式に出席する機会に、前日に現地入りし、韓半島と深い縁のある二つの寺院、金剛輪寺と百済(ひゃくさい)寺を訪ねました。
江戸時代を通じて12回に及んだ朝鮮通信使のうち10回が滋賀県を経由しており、宿泊先の施設などに通信使一行の痕跡が多く残っています。通信使が通行した街道を表示する「朝鮮ガモ」の標石があり、当時の古道もあちこちにそのまま残っています。通信使と関連が深い雨森芳洲翁の出身地ということもあり、地域と通信使との縁も深いのです。翁が生まれた長浜市高津町には雨森芳洲庵があります。昨年末、通信使の記録がユネスコ記録遺産に登録され、芳洲庵に保存されている書籍や記録などの多数が遺産に登録されています。
民団の記念式会場の入り口には、長浜市と通信使に関するドキュメンタリーふうの展示パネルが置かれていました。市が作成したものです。こういう歴史的事実を初めて知るかのように、在日コリアンの多くが行事の合間に見入っていました。日本の最短首相の記録を持つ滋賀県出身の宇野宗佑(1922-98)家に伝わる通信使の詩文も展示され、注目されていました。
滋賀民団は通信使をはじめ、古代から韓半島と交流が盛んだった地域の特性を生かしながら、民間交流を活性化していくことを宣誓しました。この日の行事には、大法院の強制徴用工判決で日韓関係が困難な状況にあるなか、三日月大造滋賀県知事ほか有力者も多く参加し、民団70周年を祝っていただきました。
12月1日、百済(4世紀前半-660)またはそれ以前から韓半島と関連が深い百済寺と金剛輪寺を訪ね、ご住職から朝鮮半島と寺院にまつわる話を聞きました。日本では百済という漢字をクダラと読みますが、漢字音そのままのヒャクサイと読んでいることからも、百済(ペクチェ)と縁の深いことがわかります。金剛輪寺は百済系の僧侶である行基(668-749)が創建した寺院ですが、以前からこの地域に影響力を持っていた渡来人秦(はた)氏の祈祷の場であったと伝えられているとの説明を受けました。
滋賀県は、京都や奈良ほどには韓国によく知られていませんが、古代に東海(日本海)を渡ってきた韓半島の渡来人たちが文化を伝播し、朝鮮時代(1392-1910)には朝鮮通信使の主要経路として、韓半島との縁が深く、また広いところです。そんな歴史的事実をあらためて知らされた1泊2日でした。