11月23日(金)、日本は勤労感謝の日で祝日なので、23日から3連休でした。連休中に関西地域の民族学校(建国学校、金剛学校、京都国際学園)と民族学級の担任教師をはじめ、民族教育関係者の研修会が1泊2日で開催され、私も参加しました。
関西地域の韓国にゆかりのある歴史遺跡の探訪、朝鮮通信使に関する講義など、充実した日程でした。1日目の23日は、京都府宇治市のウトロ地区と江戸時代(1603-1868)に朝鮮と誠隣外交を提唱した雨森芳洲の故郷にある芳洲庵を見学し、夕方は宿泊先で特別講義を聞きました。
2日目は、第二次大戦が終わった後、韓国に帰国する途次に船が爆発して沈没し、549人が犠牲となった浮島丸爆沈事件の現場と朝鮮人強制労働者などが人間以下の条件で働いていた丹波マンガン記念館を見学しました。移動中のバス車内でも映画「朴烈」ほかをビデオ上映するなど、研修ムードが大いに盛り上がっていました。
丹波マンガン記念館のほかは行ったことがある私は最初から合流せず、福井県の敦賀にある宿泊施設に直行しました。宿泊施設に到着したのは、「朝鮮通信使の生き字引」ともいうべき中尾寛京都造形芸術大学客員教授が「朝鮮通信使の歴史から学ぶ日韓関係の展望」の講義をちょうど開始するところでした。
中尾教授は壬辰倭乱(1592-98 日本では文禄慶長の役)直後、大規模な外交文化使節団を双方が送り合った歴史から教訓を得て、現在の日韓間の諸問題を解決していく必要があるという話をされました。
「民族教育はなぜ重要なのか」というテーマの講演を依頼された私は、次の5つの点で民族教育が重要であると話しました。
- 在日コリアン社会の拠点
- 在日コリアン社会と韓国をつなぐ臍帯
- 韓国と日本の架け橋
- 多文化共生をリードする世界市民の育成
- 世代交代期に入った在日コリアンの次世代の育成
故国に帰る準備と日本社会の差別に対抗するという次元で始まった民族教育が、現在の時代変化に合わせ、日本社会に定着して生きる多文化共生に力を入れなければならないのではないかとも述べました。夜には、乾杯の辞に託して各自の考えを話す有益な時間を持ちました。
24日は朝食後、舞鶴の浮島丸爆沈現場から遠くない殉難碑が建てられたところで、地元の市民が構成する追悼会の人々が海を見ながら当時の状況と追悼会の活動などについて話してくれました。閉山されたマンガン鉱山を利用して造られた京都市京北町にある丹波マンガン記念館も訪問しました。
在日コリアン2世の館長を務めているイ・ヨンシク氏は「ここが日本で唯一の強制動員記念館であり、日本政府の支援を一銭も受けず、家族の力だけで強制労働の現場を記念館として運営している」と話しました。今回の訪問でここだけが初めてでしたが、施設をしばし見物するだけで、私たちの祖先たちが人間以下の条件に置かれていたことを実感させられました。
全体を通じて過密で濃い内容の1泊2日の研修でしたが、参加者には日韓の歴史のなかの在日コリアンの生きざまを学ぶ貴重な機会になったと思います。
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