11月18日(日)午後、大阪市天王寺区にある統国寺において済州四・三*犠牲者慰霊碑の除幕式が執り行われました。大阪地域に住む済州島出身のコリアンを中心とする在日本済州四・三犠牲者慰霊碑建立推進委員会が主催しました。*済州島四・三事件
日本地域に済州四・三犠牲者慰霊碑が建てられたのは、これが最初だといいます。日帝時代(1910-45)から済州島の出身者が多く住む大阪地域の特性によるものと思われます。
1922年から済州・大阪航路が開設されました。この時期は日本が急激に工業を発達させた時期と重なり、大阪に済州出身者がひときわ多く住むようになったといいます。
1926年に投入された第二君が代丸(前年に尼崎汽船がロシアから購入)
済州四・三を通じて生命の脅威を感じた人々が、密航などで既に大阪に定着していた親戚や知人に身を寄せることも多かったといいます。このような歴史的事情で大阪と済州、大阪と済州四・三は非常に深いつながりを持っています。
南北分断後の理念対立のなかで、韓国では済州四・三が「共産暴動」と規定され、口に出すことさえタブー視された時期が長い間続きました。日本における事情はさらにひどいものでした。事件から40年経った1988年にようやく東京で初の追悼集会が開かれ、その10年後、大阪でも初の慰霊祭が開かれています。
今回の慰霊碑建立は済州四・三から70年を迎え、済州出身のコリアンが多く住む大阪に、済州島の悲劇を忘れずに記憶する記念碑を建てようという趣旨で進められました。3.6mの高さの追悼碑の基部に、事件当時の済州島の178里すべてから採取した石を配し、済州島とのつながりを強調したのが特色です。済州四・三犠牲者遺族会のオグァンヨン会長は「済州全域の石を収集して持ってくるのが最も大変だった…この慰霊碑は、おそらく国外で建てられる最初で最後の慰霊碑ではないか」と、感慨深げに話しました。
この日の行事には、大阪に住む在日コリアンのほか、済州とソウル、東京からも済州四・三の関連団体の関係者が多数参加しました。私も大阪総領事の資格で参加し、司会者から来賓の紹介を受け挨拶しました。あまりに遅くなったとはいえ、世の中が少しずつ変化していることを、参加者一同が感じたように思います。
帰途、生野区の在日韓国キリスト教会館で開催中の済州四・三関連の展示会に立ち寄り、しばし見学しました。
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