頑固爺の死

篠田さんが亡くなった。終末期医療を受ける施設に入って間もなく亡くなった。心臓肥大に伴い酸素濃度が低下していたが、すぐには急変しないだろうと聞いていたのに、あっけなく死んでしまった。

最近会っていなかったが、40年に及ぶお付き合いだった。あの頑固爺を喪った喪失感は大きく深い。僕の父と同世代だったが、実父より父親らしい存在だった。

終末期医療のため御岳にある施設に入院したと聞いて、今週末に訪ねるつもりだったのに果たせなかった。最後の挨拶をできなかったことが悔やまれる。

あの頑固爺にもう会えないと思うと、胸苦しく哀しい。彼の訃報に接してから藤村の小諸川旅情の詩の断片が時おり頭の中に浮かぶ。

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草もしくによしなし…

…きのうまたかくてありけり
きょうもまたかくてありなむ
この命何をあくせく
あすをのみ思いわずらう

…ああ古城何をか語り
岸の波何をか答ふ

——

千曲川旅情の歌 島崎藤村

小諸(こもろ)なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼(ああ)古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(ももとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれい)を繋ぐ

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