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紅い球時計

ンヴィーニは、野球やサッカーなどの団体球戯を好んだ。少年男子の多くは野球かサッカーのチームに属した。平日は朝早くから練習し、休日は他のチームとの交流試合に臨んだ。試合の日は家族なども観戦する。応援の熱狂ぶりは老人の球戯と異なるところがない。テレビは団体球戯のようすを毎日のように中継し、どの宗派のチャンネルも定期的に野球とサッカーの試合結果を報じた。球戯が盛んな理由の一つはンヴィニ教における理想体が球体だったことに関係する。古代ギリシャ人と同じように、ンヴィーニは球体に格別の意味を見出した。球体は神格を象徴し、ンヴィーニの統合の象徴とされた。女性の胸部と(でん)部は球状が好まれ、男性の性器が有する二個の球体は格別の意味を持っていた。

ンヴィニ教は教義を持たない無宗教派だが、考え方の根幹には鉄道の設計と運行に関わる思想があった。目的地に早く到達し、いかに効率よく作業するかである。多くのンヴィーニが晩年に患った鬱病(うつびょう)の症例は非効率に対する免疫の低さを示している。無為(むい)の時間が増え、動作が思うようにならないことに耐えられないのだ。彼らの時間観念もまた鉄道にまつわるものだった。どの駅にも(あか)い球時計が人目に付くところに置かれ、人々はそれに向かって(こうべ)()れた。ンヴィニ教寺院や駅構内に設置された球時計の時刻が大本(おおもと)と考えられた。電車は分刻みで運行され、車両の停止位置まで駅ごとに決められている。人々は毎日決められた時刻の決められた車両に乗ろうとして、ホームの乗車位置と降車位置を決めていた。だから、同じ時間帯の特定の車両はほぼ同じ乗客でひしめき合った。出発直前の電車に人々が突進するのは一刻も早く電車に乗るためだし、その電車に乗れると彼らは満足した。そんな生活スタイルを不気味に思う異教徒はンヴィニ教を拝球(はいきゅう)教と呼んで(あなど)った。

日々の行動にとどまらず、人々の生涯にわたる営みも年齢に応じて決められ、六歳から十八歳まで大半の人々が学校や予備校などの施設に通った。さらに数年から十年ほど施設に通う者も少なくない。その後、さまざまな職種の仕事について、異性または同性どうしが結婚して世帯を持つ。生活に根ざした信仰という意味で、儀礼的な宗教にない重要な要素をンヴィニ教は持っていたのだ。ただ、ンヴィーニの一生は時刻表のようで、途中で脱落した者は同じ電車には戻れない過酷な社会でもあった。人々が最も恐れたのは電車という動く寺院やンヴィニ教寺院から追放されることであった。

わきびとたち

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