수아[樹芽]

第1回

ナレーター:詩には風景があります。それぞれの詩にどんな風景があるのか想像してみると、その詩の姿がはっきりと浮かび上がってまいります。今回のハングルの詩はどんな風景のどんな詩なのでしょうか。

独断と偏見でお馴染みの歌樽先生が詩のある風景の現場にすでに到着なさっているようです。では、現地の詩子アナウンサーを呼んでみましょう。詩子アナ、現地の模様はいかがでしょうか。

https://blog.naver.com/sandcastle44/30112922712

詩子アナ:はい、こちら詩子です。現地にはいろんな花が咲いています。子供達も多いですね。新芽の香りに満ち満ちています。歌樽先生に伺ってみましょう。今回の詩のキーとなるハングルはずばり何でしょうか。

歌樽先生:ずばーり、、、難しいですね。

詩子アナ:その難しいところを何とか「ずばーり」お願いします。

歌樽先生:「설다 해도」でしょうかね。

詩子アナ:ずばーり、「설다 해도」、いただきました!

さて、今回の詩のキーハングル「설다 해도」の入った詩とはどんな詩でしょうか。まず詩のタイトルから見ておきましょう。

https://ko.wikisource.org/wiki/%EC%A7%84%EB%8B%AC%EB%9E%98%EA%BD%83_(%EC%8B%9C%EC%A7%91)/%EC%88%98%EC%95%84

詩子アナ:金素月の詩集『진달래꽃』の中の「樹芽(수아):木の芽」ですね。歌はないのですか。

歌樽先生:歌はないようですね。

詩子アナ:それは残念ですね。

歌樽先生:曲を付けて歌うということはできますよ。

詩子アナ:そういう方法がありましたか。あっ!あそこで子供達が歌を歌ってますね。何の歌ですか。

歌樽先生:「봄이 왔어요(春が来た)」という歌ですね。同じタイトルの歌が幾つもあるようですが。

http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=josun797&logNo=220952677507

詩子アナ:どんどん勢いよく春になっていくような歌ですね。

歌樽先生:同じタイトルの別の歌の「봄이 왔어요」を聞いてみましょう。

http://tip.daum.net/question/103593545

詩子アナ:これも勢いのある歌ですね。このあたりは春の芽の香りで満ちていますね。

歌樽先生:樹木の多い公園ですね。では詩を見てみましょう。

詩子アナ:はい。読んでみます。

  • 설다 해도
  • 웬만한, 봄이 아니어,
  • 나무도 가지마다 눈을 텄어라!

歌樽先生:読んだ感じはどうですか?

詩子アナ:リズムがいいような気がしますが。

歌樽先生:では、そのあたりを考えてみましょう。

詩子アナ:どのように考えればいいのでしょうか。

歌樽先生:何かのメロディーで歌ってみるのもいいかもしれませんね。

詩子アナ:では、童謡でやってみます。

설다 ~ 해도  ♪ ~ 웬만한 ~ ♪

歌樽先生:何の歌かよくわかりませんが、、

詩子アナ:「春が来た」で歌ってみましたが。

歌樽先生:初めの3行はなんとか行けそうですが、4行目はちょっと無理がありますね。

詩子アナ:歌ってみると、その通りですね。このあたりで、強力なヒントなどあれば嬉しいのですが。

歌樽先生:知っている歌かどうか分かりませんが、唱歌でヒントを出しましょう。

第1問:詩が歌のリズムに合っているのは次のどれでしょうか。

1) 春の小川    2) 花    3) 鳩ぽっぽ    4) 埴生(はにゅう)の宿

詩子アナ:ぜんぶ「は」ではじまる歌ですね。

歌樽先生:さっきは「春が来た」という歌でしたから、「は」のつくタイトルで考えてみましたが。

第2回

詩子アナ:はあ、なるほど。まいりました。知らない歌があるのですが。

歌樽先生:有名な歌ばかりだと思ったのですが、そうではないようですね。

詩子アナ:では、ここで問題です。私が知らないのはこのうちどの歌でしょうか。

歌樽先生:これは参りました。逆に質問されてしまいましたね。「鳩ぽっぽ」は知っていますよね。

詩子アナ:「ぽっぽっぽ」でしょ。これは知っています。

歌樽先生:「ぽっぽっぽ」ではないんです。「鳩ぽっぽ」で始まる歌なんですよ。

詩子アナ:「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」じゃないんですか。

歌樽先生:残念でした。

詩子アナ:では、どんな歌なんですか。

歌樽先生:「鳩ぽっぽ」はこんな歌です。ちなみに作曲は滝廉太郎です。

「鳩」というタイトルの歌が「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」なんです。

詩子アナ:知らなかった!

歌樽先生:では、当たったということにして。

詩子アナ:いえ、いえ。知らないといったのはこれではないんです。

歌樽先生:「鳩ぽっぽ」は知っていると思っていたようですからね。

詩子アナ:あの、「春の小川」は「春の小川はさらさらいくよ」ですよね。

歌樽先生:その通りです。ということは、「花」は知っていると思いますから、4)の「埴生の宿」のようですね。ここで歌を聞いてみましょう。「埴生の宿」の日本語バージョンです。

詩子アナ:聞いたことがあるような箇所もありますが。

歌樽先生:もともと「Home Sweet Home」という歌です。

詩子アナ:韓国でも有名ですか。

歌樽先生:有名ですよ。「즐거운 나의 집(楽しい我が家)」というタイトルで知られています。

詩子アナ:やっと第1問の答えが分かりました。

第1問:答えは4)「埴生の宿」です。

歌樽先生:「埴生の宿」という言葉の意味なんですが、、、

第2問:「埴生の宿」とは次のうちどれでしょうか。

1) 埴輪の家    2) 楽しい家    3) 田舎の家    4) 貧しい家

詩子アナ:「Home Sweet Home」や「즐거운 나의 집」を参考にすると、2)の「楽しい家」のような気がしますが。

歌樽先生:日本語の勉強が必要なようですね。辞書で調べてみましょう。

詩子アナ:埴生、埴生、、、ありました。

第2問:答えは4)の「貧しい家」です。

歌樽先生:では、この歌に合わせて「 설다 ~ 해도 ~ 웬만한」と歌ってみましょう。

詩子アナ:あの、歌えないんですが。

歌樽先生:ああ、そうでしたね。では、「蛍の光り」でやってみましょう。

詩子アナ:「蛍の光り」ですか?「埴生の宿」から蛍の方に飛んでいっていいんですか。

歌樽先生:よく知っている歌でないと曲に合わせて歌うことはできませんからね。ともかく今回はいろんな歌を歌って考えてみましょう。

第3回

詩子アナ:はい。では「蛍の光」の曲に合わせて歌ってみます。

  • ♪ 설다 ~ 해도 ~ 웬만한 ~ ♪ 봄이 아니어~ ♪
  • ♪ 나무도 ~ 가지마다~ 눈을 텄어라! ~ ♪  

ぴったり合います。不思議ですね。

歌樽先生:「蛍の光り」は今は卒業式の歌とされていますが、かつて他の歌詞で歌われていました。

第3問:「蛍の光」の歌のメロディーに合わせて歌われたのは次のうちどれでしょうか。

1) 愛国歌(애국가)    2) 八道江山(팔도강산)    3) トラジ    4) アリラン

詩子アナ:「愛国家」は韓国がオリンピックで金メダルを取ったときに流れるメロディですよね。「トラジ」と「アリラン」は知っていますが、「八道江山」はどんな歌ですか。

歌樽先生:では、聞いてみましょう。

詩子アナ:民謡のようですね。歌詞はどうなっているんですか。

歌樽先生:こんな歌詞ですね。臨時に訳もつけておきましょう。

팔도강산 좋을시고/딸을 찾아 백리길/ 八道よいとこ娘どこかいな
팔도강산 얼싸안고/아들 찾아 천리길/ 八道よいとこ息子どこかいな
에헤야 데헤야/우리 강산 얼씨구/ よかよよかよわが国よかよ
에헤야 데헤야/우리 살림 절씨구/ よかよよかよ暮らしもよかよ
잘 살고 못 사는게/팔자만은 아니더라/ 暮らしの良し悪し定めじゃなかよー
잘 살고 못 사는게/마음 먹기 달렸더라/ 暮らしの良し悪し気持ちの持ちよう
줄줄이 팔도강산/좋구나 좋다/ そりゃそりゃ八道よかよよか

詩子アナ:この歌詞を「蛍の光」のメロディーで歌うんですか。歌ですから全く無理という訳ではないように思いますが、でもやはり無理ですね。

歌樽先生:なるほど。ということは?

詩子アナ:あの、問題の意図がまだよく分かっていないんですけど、答えはわかりました。

第3問:答えは1)愛国家です。

歌樽先生:曲はよく聞くことがありますね。歌詞はいかがですか。

詩子アナ:これの「蛍の光」のメロディーで「愛国家」を歌うんですか。

歌樽先生:はい、歌ってみましょう。

詩子アナ

  • ♪동해물과 백두산이 ♪마르고 닳도록~♪
  • ♪하느님이 보우하사 ♪우리나라만세~ ♪

歌詞がぴったりメロディーに合っていますね。

歌樽先生:そうですね。これは実際に歌われていたんですよ。

詩子アナ:えっ!「愛国歌」が「蛍の光」の曲なんですか?

歌樽先生:「蛍の光」のメロディーで「愛国家」を歌うことがかつてありましたね。

詩子アナ:どんな時ですか?

歌樽先生:では、これを問題にしましょう。

第4問:「愛国歌」が「蛍の光」のメロディーで歌われたのはどんなときでしょうか。

1) 映画館で    2) 独立運動で   3) 卒業式で    4) 伝統結婚式で

詩子アナ:歌ですから、いつ歌ってもいいようですが、寂しい感じの曲ですから、4)の伝統結婚式にはなんとなく合わない気がします。それから、3)の卒業式は歌詞が合っていませんから。1)か2)ですね。

歌樽先生:昔は映画館とか演奏会では「愛国歌」で始まるのですが、この時は起立していましたね。

詩子アナ:はあ、そうですか、映画館は新しいので、おそらく新たに作曲された「愛国歌」で歌ったものと思われますので分かりました。

第4問:答えは2)の「独立運動で」です。

歌樽先生:推理力が働きましたね。

詩子アナ:いえいえ、推理というものではなく、ただただ単純に消去法を用いただけです。

第4回

歌樽先生:では、ここで「蛍の光」の曲で歌っているのを聞いてみましょう。

現在歌っている曲は、安益泰(안익태)さんが1935年に作曲した『韓国幻想曲』です。

詩子アナ:あの、ずいぶん遠回りしているように思えるんですが。

歌樽先生:そうですね。遠回りのついでに、もう少し遠回りしてみましょう。

詩子アナ:じゃあ、私もすこし失礼して、間食などさせていただきましょう。先生も召し上がってください。おいしいですよ。

歌樽先生:鯛焼きですか。食べるのは久しぶりです。

第5問:「鯛焼き」は韓国語で何というでしょうか。

1) 붕어(鮒 ふな)빵    2) 도미(鯛 たい)빵    3) 물고기(魚)빵    4) 문어(蛸 たこ)빵

詩子アナ:お店には「잉어빵:鯉パン」と書いてあったようですが。蛸とは形が違いますし、魚では種類が多すぎてよくわからないし、「잉어」に近いのは「붕어」ですね。

第5問:答えは1)の「붕어(鮒:ふな)빵」です。

歌樽先生:正解です。「그 집 아들은 아버지와 붕어빵이다.(あの家の息子は父親と瓜二つだ。)」という表現がありますね。

詩子アナ:鯛焼きの型は同じ形ですからね、なるほど。面白い表現ですね。

歌樽先生:「붕어빵」と「잉어빵」との違いを指摘しているものもありますね。

詩子アナ:どこがどう違うのですか。

歌樽先生:どう違うのかは食べて比べてみるのが一番いいですね。薄皮で中の餡が外から透けて見えるのは「잉어빵」、尻尾に餡が入っていないのが「붕어빵」だという説があるようですよ。

詩子アナ:微妙ですね。餡が見えているようでもあり、見えていないようでもありで。まずはいただいてみます。

歌樽先生:では、私もいただきます。甘すぎず、なかなかいい味ですね。

詩子アナ:遠回りするにはそれだけの理由があるようですね。

歌樽先生:さすがですね。やっと詩子アナの本領発揮の場がやってきたようですね。

詩子アナ:ということは、遠回りした必然性がある訳ですね。

歌樽先生:必然性といわれると、困りますが、期待には添えると思いますよ。実は、同じ題の詩なんですが、『開闢』19号に発表されたものがあります。それを見ておきましょう。

詩子アナ: 同じ題の詩というのは、「ツバメ」や「失題」のように別の詩なんですか。

歌樽先生:いえ、こちらは同じ詩ですが、改作する前のものです。

詩子アナ:はい。ああ、こちらですね。

  • 웬만한 설은봄은 아니여!
  • 나무가지 가지마다 눈을텃서라
  • 내가슴에도 봄이와서
  • 只今 눈을 트랴고하여라.
  • (『開闢』19号「樹芽」1922.1 p. 36)

歌樽先生:「只今」は「지금」と読みます。もう一度、詩集『진달래꽃』の中の「樹芽(수아):木の芽」を見ておきましょう。

  • 설다 해도
  • 웬만한, 봄이 아니어,
  • 나무도 가지마다 눈을 텄어라!
  • (詩集『진달래꽃』「樹芽」1925. p. 50)

比べてみるとどんなところが違っていますか。

詩子アナ:かなり違いますね。文字数が倍近くありますね。こういう詩はどのように比較すればいいのでしょうか。

歌樽先生:それを考えてもらえるといいですね。まず、方針をたてましょう。

第5回

詩子アナ:急に方針と言われても、、、方針どころではなく、放心状態ですけど。

歌樽先生:それは困りましたね。それでは、ヒントをだしましょう。

詩子アナ:やったー!久しぶりのヒント、イタダキー!

歌樽先生:この2つの詩をお芝居に見立ててみると、それぞれ何幕になりますか。

詩子アナ:お芝居はあまり見ていなし、やったこともないので、どういう観点から考えればいいのか、全く見当がつきません。ヒントにならない方向のようですが、、、

歌樽先生:検討が難しいということですね。では、別のヒントをだしましょう。こんどは歌でやってみましょう。「鯉のぼり」の曲に合わせて、短いほうの「樹芽(수아)」を歌詞と考えて歌ってみましょう。歌詞としては短いので、2度繰り返してやってみてください。

詩子アナ:はい。やってみます。

  • ♪ やねより・たかい・こいのぼり ♪
  • 설다해도 웬만한 봄이안이어
  • ♪おおきい・まごいは・おとうさん
  • 나무도 가지마다 눈을 텄어라 
  • ♪ ちいさい・ひごいは・こどもたち♪
  • 설다해도 웬만한 봄이안이어
  • ♪ おもしろ・そうに・およいでる ♪
  • 나무도 가지마다 눈을 텄어라 

歌樽先生:なかなかよく歌えましたね。もう一つの「鯉のぼり」でも歌ってみましょう。

詩子アナ:もう一つの「鯉のぼり」ですか?そういえば、何かあったような気がします。

歌樽先生:「甍(いらか)の波と雲の波」で始まる歌なんですが、

詩子アナ:ああ、わかりました。

  • ♪ いらかの・なみと・くものなみ ♪
  • 설다해도 웬만한 봄이안이어
  • ♪ かさなる・なみの・なかぞらを ♪
  • 나무도 가지마다  눈을 텄어라 
  • ♪ たちばな・かおる・あさかぜに ♪
  • 설다해도 웬만한 봄이안이어
  • ♪ たかく・およぐや・こいのぼり ♪
  • 나무도 가지마다 눈을 텄어라 

歌樽先生:これでもうまく歌えましたね。では、ここで問題にしましょう。

第6問:今歌った2つの「鯉のぼり」の歌詞と「樹芽(수아)」の共通点は何でしょうか。

詩子アナ:ヒントは?

歌樽先生:ヒントは歌詞の中にありますよ。

詩子アナ:「蛍の光」の曲でも歌いましたが、これがどうやら関係があるようですね。

歌樽先生:なかなかいいところを見ていますよ。

詩子アナ:「蛍の光」は「ほたるのひかり」で7音、「まどのゆき」で5音、以下「ふみよむつきひ(7)かさねつつ(5)」で、七五調。「鯉のぼり」は「やねよりたかい(7)こいのぼり(5)おおきいまごいは(8)おとうさん(5)」で、ほぼ七五調。

もう一つの「鯉のぼり」は「いらかのなみと(7)くものなみ(5)かさなるなみの(7)なかぞらを(7)」で七五調。「樹芽(수아)」は区切り方にもよるでしょうが、「설다 해도 웬만한(7)봄이 아니어(5)나무도 가지마다(7)눈을 텄어라!(5)」ということで分かりました。

第6問:答えは、どちらも七五調で作られています。

歌樽先生:調子が戻ってきたようですね。「いらかの波と」の「鯉のぼり」は1913年に広田龍太郎氏作曲、「屋根よりたかいこいのぼり」の「こいのぼり」は1931年近藤宮子作詞のものです。古いほうを「旧鯉」、後にできたものを「新鯉」と便宜上よぶことにしましょう。

詩子アナ:では、同じように「樹芽」も1922年の長い方を「旧樹芽」、1925年の短い方を「新樹芽」と略して呼べば便利ですね。

第6回

歌樽先生:なるほど。なかなかいい提案ですね。では、「旧鯉」と「新鯉」の違いを参考に、「旧樹芽」と「新樹芽」の違いを考えてみましょう。

詩子アナ:「旧樹芽」と「新樹芽」の違いをすぐ見つけるのは難しいので、「旧鯉」と「新鯉」との違いを参考にして考えてみようということですか。

歌樽先生:そうですね。そういう方向で見て行きましょう。

第7問:「旧鯉」と「新鯉」のそれぞれで使われている語彙を比較して、違いを指摘しましょう。

詩子アナ:ただ、比較するだけではだめなようですね。詩的にもするひつようがあるようですね。

歌樽先生:方針が立ったようですね。安心しました。

詩子アナ:はい、やってみます。

旧鯉新鯉
甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に
高く泳ぐや、鯉のぼり
(該当なし)
(該当なし)
(該当なし)
屋根より
高い
(該当なし)
こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

歌樽先生:なるほど、こういう比較から分かったことは?

詩子アナ:鯉のぼりそのもの描写か、家族と見立てる心持ちかという違いです。

第7問:「旧鯉」では鯉のぼりが空高く泳いでいるという個の描写が中心で、「新鯉」ではこいのぼりを家族と見立てて歌っている心が中心となっています。

歌樽先生:なるほど、するどい指摘になりましたね。「旧鯉」での最後の鯉のぼりが個であるという証拠はあるのですか。

詩子アナ:「旧鯉」の歌詩をスマホで確かめてみたのですが、3番の歌詞で龍になる男子といった内容が歌われていますから、家族ではなく男の子の描写かなと思いました。

歌樽先生:詩子さんの説には鯉の滝のぼりのような勢いが付きましたね。ほぼ竜のようですね。

詩子アナ:お褒めのお言葉、ありがとうございます。竜頭蛇尾にならないようにいたします。

「樹芽」は短い詩ですが、他にも短い詩があるのですか。

歌樽先生:かなりの数になりますね。詩集『진달래꽃』の中にも5行以内の詩が20数首ありますから。いろいろな試みをしているところが、光っていますね。

詩子アナ:光っているんですか。

歌樽先生:昼には星がみえないように、光っていてもなかなか気付かないんですよ。素月自身がこのようなことを言っていますね。

詩子アナ:素月の言葉ですか。心の目を開くのが大切なんですね。

歌樽先生:どんどん詩人の気持ちに近づいているようですね。

詩子アナ:お褒めに与って恐縮です。

歌樽先生:では、この調子で「旧樹芽」と「新樹芽」を比べてみましょう。

第8問:「旧樹芽」と「新樹芽」を比較して、違いを指摘しましょう。

詩子アナ:はい、やってみます。

旧樹芽新樹芽
웬만한 설은봄은 아니여!


나무가지 가지마다 눈을텃서라, 
내가슴에도 봄이와서
지금 눈을 트랴고하여라.
설다해도
웬만한,
봄이안이어,
나무도 가지마다 눈을터서라!
(該当なし)
(該当なし)

歌樽先生:これで何かわかりましたか。

詩子アナ:すごいことが分かりました。

第7回

歌樽先生:すごいこととは何でしょうか。

詩子アナ:はい。ふたつあります。

第8問:一つ目は、「旧樹芽」の2行分だけで「新樹芽」ができていることがわかります。

二つ目は、「旧樹芽」の3行目と4行目は「新樹芽」では該当する部分がありません。

歌樽先生:ということは、どういうことでしょうか。

詩子アナ:「新樹芽」では「旧樹芽」の最後の2行の「春が自分にも来ていて芽吹こうとしている」と言う内容を切り離して、捨ててしまっています。

  • 내가슴에도 봄이와서
  • 지금 눈을 트랴고하여라.

なぜ、この部分を切り取ったのでしょうか。

歌樽先生:そうですね。そこはあとで考えることにしましょう。

第9問:まず。この部分を試訳しましょう。

詩子アナ:では、五七調でやってみます。

第9問:答 a) わが胸に春訪れぬ 今まさに芽を吹かんとす。

歌樽先生:七五調でもやってみますか。

詩子アナ:はい、では七五調で。

第9問:答 b) わが心にも春来たり 芽は今まさに出でんとす。

歌樽先生:いろいろと考えたようですね。漢詩か英詩の和訳のような趣がありますね。

詩子アナ:なんとなくこんな感じになってしまいました。

歌樽先生:金素月は漢詩をハングル訳するときに漢文調の訳はしなかったようですよ。

詩子アナ:金素月は漢詩を訳しているんですか。

歌樽先生:幾つも訳していますよ。孟浩然の「春暁」や杜甫の「春望」なども含まれています。

詩子アナ:「春暁」は「春眠暁を覚えず」で始まる詩ですよね。

歌樽先生:学校の書き下し文ではそう習うようですね。土岐善麿は「はるあけぼのの うすねむり まくらにかよふ とりのこえ かぜまじりなる よべのあめ はなちりけんか にわもせに」という訳をつけていますよ。

http://www.dwc.doshisha.ac.jp/faculty_column/representation/2015/post-204.html

詩子アナ:そういう訳詩があったんですか。

歌樽先生:もう一つ別の訳詩を原文と比べて見ましょう。

原文「春暁」孟浩然

  • 春眠不覚暁 ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
  • 処処聞啼鳥 トリノナクネデ目ガサメマシタ
  • 夜来風雨声 ヨルノアラシニ雨マジリ
  • 花落知多少 散ツタ木ノ花イカホドバカリ

歌樽先生:では、これを問題にしましょう。「ハルノネザメノウツツデ聞ケバ」の詩に関してです。

第10問:この訳詩と最も関係の深い人物は次の内の誰でしょうか。

1) 芥川龍之介  2) 井伏鱒二  3) 内田康夫   4) 遠藤周作

詩子アナ:関係の深い人ですか。訳した人ではなくて?

歌樽先生:するどい指摘ですね。

詩子アナ:ということは本人が訳したものではないけれど、深い関係があるという訳ですね。

歌樽先生:本人の言葉では「亡き父親の残した訳を自分の好みのまま直した」とのことですが、どこまでが父親の訳なのか、どこをどう直したのかは書かれていません。

詩子アナ:ちょっと失礼して、調べてみます。

歌樽先生:調べる前に考えてみるということはしないんですか?

詩子アナ:最近、何でもすぐに探るようになって、こういう問題ではあまり考えなくなってしまいました。反省しなくてはいけないと時々考えてみることもあるのですが、ついついすぐに答を求めてしまいます。

第8回

歌樽先生:書には書風、絵には画風があるように、作家には作風というものがありますから、それから類推するという方法がありますね。

詩子アナ:なるほど、そういわれると、そのとおりですね。芥川龍之介は「蜘蛛の糸」、井伏鱒二は「山椒魚」、内田康夫はサスペンス、遠藤周作は「沈黙」。

歌樽先生:そういう風にやればいいですね。

詩子アナ:サスペンスの内田康夫とキリスト教文学の遠藤周作は除外できそうですね。

歌樽先生:なかなか、いい感じですよ。

詩子アナ:では、私風にいえば「蜘蛛の糸」と「山椒魚」の戦いですね、

歌樽先生:戦いとかそういう問題ではないんですが、いろいろと考えてみることはいいですね。

詩子アナ:父親の残した訳を自分の好みのまま直したとのことですから、お父様もそうとうの学識者らしいですから、そこらあたりから攻めてみると道が開けるような気がするのですが。

歌樽先生:じゃあ、ここまで進みましたから、私が答をいいましょう。

詩子アナ:えっ!先生がお答えになるんですか。

歌樽先生:今回はいろいろ遠回りしてみようという訳ですから、一つぐらい私が答えても構わないでしょう。

詩子アナ:あの、今出てきたんですけど。答えます‼

第10問:答えは、2) 井伏鱒二です。

https://kanbun.info/syubu/toushisen250.html

歌樽先生:滑り込みましたね。井伏鱒二のお父さんは号を素老といって、漢詩文をよくなさったようですよ。ただ、その訳には「粉本」つまり見本にしたものがあったようですがね。

詩子アナ:井伏鱒二のお父さんには「粉本」があり、井伏鱒二にはお父さんという「粉本」があったという訳ですか。私はそれよりもお父さんの「素老」という号が「素月」の「素」と同じだというのに驚きました。

「ハルノネザメノウツツデ聞ケバ」の訳詩は7音が基本で5音が一つですが、素月の訳も7音と5音になっているんですか。

歌樽先生:分かち書きをしていないので、分かりにくいのですが、七五調でも五七調でもないことは確かです。読んでみると3音と4音が基本になっていますから。見てみましょう。

詩子アナ:見ただけで難しそうですね。

아츰도몰으고설잠을자노라면  
            귀ㅅ가에서 지저기는새소리   
            어제ㅅ밤 뒤설닌바람비에     
            꽃입사귀는 얼마나떨엿노    
{꽃:原文(ㅅ+ㄱ+ㅗ+ㅅ)  떨:原文(ㅅ+ㄷ+ㅓ+ㄹ)}

歌樽先生:音で読んでみると分かりやすいですよ。

詩子アナ:はい。やってみます。

  • 아츰도몰으고설잠을자노라면
  •   → 아침도 모르고 설잠을 자노라면
  • 귀ㅅ가에서 지저기는새소리
  •   → 귓가에서 지저귀는 새소리

一行目は3・3・3・4、二行目は4・4・3、確かに3音と4音でできていますね。

歌樽先生:この訳詩は金素月の詩の特徴を備えていますね。

詩子アナ:以前、素月の詩の特徴をいくつか学びましたが、ほとんど忘れてしまいました。

歌樽先生:習ったということを覚えているだけでも立派ですよ。

詩子アナ:立派だといわれても困ります。

歌樽先生:ヒントになるかどうかわかりませんが、問題を出してみましょう。

11問:各行の音を調べて、その特徴を見つけましょう。

詩子アナ:あっ!思い出しました。「頭音」と「脚音」を調べたことがありました。頭音は初めの音、脚音は終わりの音ですから、これを陰陽と五行に分けて整理してみます。

第9回

 GOOLEE0 1 COMMENT

歌樽先生:これは「山有花」の詩でやってみましたね。

詩子アナ:そういえば、表を作った記憶がありますが。

歌樽先生:ではそんな感じで整理してみましょう。

詩子アナ:分かち書きをしてから見てみます。

아츰도 몰으고 설잠을 자노라면

        귀ㅅ가에서 지저기는 새소리

            어제ㅅ밤 뒤설닌 바람비에

        꽃 입사귀는 얼마나 떨엿노 

{꽃:原文(ㅅ+ㄱ+ㅗ+ㅅ) 
 떨:原文(ㅅ+ㄷ+ㅓ+ㄹ)}

11問:行ごとの頭音と脚音の陰陽と五行を整理してみます。

陰陽陰陽五行五行
 頭音脚音頭音脚音
第1行아:陽면:陰아:土면のㄴ:火
第2行귀:陰리:陰귀:木리:火
第3行어:陰에:陰어:土에:土
第4行꽃:陽노:陽꽃:木노:火
特徴2陽2陰1陽3陰2土2木1土3火

「陰陽」は頭音が「2陽2陰」で2種2同、脚音が「1陽3陰」で2種3同、「五行」は頭音が「2土2木」で2種2同、脚音が「1土3火」で2種3同です。「리」は「非陽」ということで、「陰」としました。

歌樽先生:なるほど。久しぶりに表らしいものを見ましたね。この表では現れていませんが、実はある秘密があるんです。その秘密を遠くから見ておきましょう。

詩子アナ:「遠くから」がヒントのようですね。

歌樽先生:ポイントが分かったようですから、ここで問題を出してみましょう。

第12問:金素月が「春暁」をハングル訳するときの方針の結果が最もよく現れているのは次のうちどれでしょうか。

1) カ行音  2) サ行音  3) マ行音   4) ア・ヤ行音

詩子アナ:さっきの表では十分ではなかったようですね。「遠くから」がヒントだとすると、今回の「遠回り」もヒントのようですから、ここに秘密のポイントがあるようですね。でも、この先が思いやられます。

歌樽先生:「千里の道も一歩から」といいますね。

詩子アナ:こつこつとやって行くのが大切なことのようですね。では、こつこつと。

歌樽先生:「こつこつと」で思い出しましたが、「キロキロとヘクトデカけたメートルがデシに追われてセンチミリミリ」という暗唱歌がありましたね。

詩子アナ:単位のような歌ですね。聞いたことがあるようなないような、「あるなし」クイズですか。

歌樽先生:ここは得意な調べ方で調べてみてください。直接は関係ありませんが。

詩子アナ:できれば関係のあるものだけにしていただきたいのですが。

歌樽先生:そうこられると、困りましたね。では「あるなしクイズ」にしましょう。

第13問:次の1)にあって、2)にないものは何でしょうか。

  • 1) キロ、ヘクト、デカ   
  • 2) デシ、センチ、ミリ

詩子アナ:これではもっと遠くなっていくようですが。「こつこつと」はどちらに入りますか。

歌樽先生:「こつこつと」は1)のグループに入ります。

第10回

詩子アナ:分かりました。「うたこ」は1)です。

歌樽先生:冴えてきましたね。

詩子アナ:いろいろとヒントをいただいて、第11問は分かりました。

第13問:答えは1)です。

歌樽先生:その心は?

詩子アナ:「ココロ」だからです。カ行の音がありますから。

歌樽先生:正解!これで、第10問にずいぶん近づきましたよ。

詩子アナ:では、「カ行音」をヒントにこつこつとやってみます。

아침도 모르 설잠을 자노라면  
            귓가에서 지저는 새소리
            어젯밤 뒤설닌 바람비에
             잎사는 얼마나 떨엿노

第3行目だけが「カ行」がありません。

歌樽先生:ということは?

詩子アナ:これは行単位でみると3つの行にカ行があり、1つの行にはない訳ですから、「2種3同」のタイプと見ることができます。

歌樽先生:そのように見ることもできますが、実はさきほどの井伏鱒二の訳と比べると面白いですよ。

原文「春暁」孟浩然

  • 春眠不覚暁 ハルノネザメノウツツデ聞ケ
  • 処処聞啼鳥 トリノナネデ目サメマシタ
  • 夜来風雨声 ヨルノアラシニ雨マジリ
  • 花落知多少 散ツタノ花イホドバ

詩子アナ:3行目にはどちらもカ行の音がないんですね。答が後先になりましたが、

第12問:答えは3)の第3行目です。

  • 어젯밤 뒤설닌 바람비에
  • ヨルノアラシニ雨マジリ

金素月の訳と井伏鱒二の訳は何か関係があるのですか。

歌樽先生:関係はないでしょう。金素月の訳は1925年4月13日の『東亜日報』が初出で、井伏鱒二の訳の初出は1933年10月『文学界』(文化公論社)「田園記」とのことですから。どちらにもカ行の音がないのは偶然でしょう。

ただ、新しい思想に接するという時代的背景の中で漢文調の訳だけでは満足できず、独自の訳を試みる必要性を強く感じはじめたのだと思われます。なぜ3行目に、井伏の訳にも素月の訳にも「カ行」の音がないのかは、このことと関係があるように思われます。

詩子アナ:「不覚暁(あかつきをおぼえず)」、「聞啼鳥(ていちょうをきく)」、「風雨声(ふううのこゑ)」、「花落知(はなおちることしる)」といった書き下し文ではどうしてもこの詩の場合「カ行」音がでてきますが、訳の方針をまったく変えたために3行目に「カ行」音がなくなったということですか。

歌樽先生:基本的にはそうだと言っていいでしょう。

詩子アナ:素月は誰の漢詩のハングル訳も参考にしないで訳詩をしたのでしょうか。

歌樽先生:一人では難しかったでしょうね。素月の師匠の金億先生は『꽃다발』(花束)という題で漢詩をハングル訳したものを1944年にだされています。この中には1910年代から訳詩なさったものもあって、恐らく素月にも参考にするように見せたのでしょう。

詩子アナ:孟浩然の「春暁」は金億先生の本には含まれていないのですか。

歌樽先生:では、これを問題にしましょう。

第14問: 金億の『꽃다발』という訳詩集に含まれる原詩の漢詩は次の内どれでしょうか。

  • 1) 中国の漢詩  
  • 2) 朝鮮の漢詩  
  • 3) 中国と朝鮮の漢詩  
  • 4) 朝鮮女流詩人のみの漢詩

第11回

詩子アナ:孟浩然は中国の人ですから、「春暁」のハングルの訳詩があれば、答えは1)か3)ですね。「春暁」を金億先生がすでになさっていると仮定すると、同じ詩をまた弟子の金素月が訳して発表することはまずないと思われますので、2)か4)でしょうが、꽃다발というタイトルからすると、もう答えはこれしかありません。

第14問:答えは4)の 朝鮮女流詩人のみの漢詩です。

歌樽先生:正解です。『꽃다발』は朝鮮の女流詩人の漢詩をハングル訳したもので、中国の漢詩は含まれていません。伝統的な「時調」という詩のジャンルがあるのですが、金億はこのジャンルでの訳も試みています。金億も漢文調を残したままの訳だけでは満足できず、独自の訳を試みる必要性を感じたのでしょう。

詩子アナ:では一つの朝鮮の女流詩人の漢詩を2つの異なったやり方で訳を付けたのですか。

歌樽先生:そうです。全ての漢詩に2つのやり方で訳詩を付けているんです。そこが偉いですね。

詩子アナ:こうした訳に対して反対とか批判とかそういうものはなかったのでしょうか。

歌樽先生:それはありましたね。金億自身も玄相允先生から訳詩について「どうして原詩の訳だといえるのか」と批判されたことを本の巻頭辞で書いています。

詩子アナ:玄相允先生とは誰ですか。

歌樽先生:一言では説明しにくいのですが、学部は早稲田の英文科で学び、後に高麗大学校の初代総長になっている人です。

詩子アナ:そういう方ですか。ともかく金素月は金億先生の自由な訳に惹かれたんですね。

歌樽先生:そうですね。そういう面もあったとは思いますが、素月からすると、さらなる自由が必要だと考えていたようです。

詩子アナ:さらなる自由というと、「時調」の枠も超えたような詩ということですか。

歌樽先生:なかなかの達観ですね。

詩子アナ:いえいえ、「時調」についてはよく分かりませんが、それを超えた方向ではないかという直感が働いたものですから。

歌樽先生:詩の理解にはそういう直感も必要ですよ。

詩子アナ:金億先生はどこの学校を出られたのですか。

歌樽先生:慶応義塾大学の英文科のようですよ。

詩子アナ:「樹芽」の詩のキーワードは確か「설다 해도」でしたよね。

歌樽先生:そうでしたね。そろそろ本題に戻りましょう。ここでもう一度「旧樹芽」と「新樹芽」とを比べてみましょう。

詩子アナ:はい。もう一度みてみます。

旧樹芽 新樹芽
웬만한 설은봄은 아니여!     
웬만한,
봄이안이어,
나무가지 가지마다 눈을텃서라,
내가슴에도 봄이와서    
지금 눈을 트랴고하여라.     
설다해도


나무도 가지마다 눈을터서라!
(該当なし)
(該当なし)

歌樽先生:「旧樹芽」も「新樹芽」も同じ4行なのに、「旧樹芽」の後半部の2行が無くなったのはなぜでしょうか。

詩子アナ:これはまた難しいことを訊かれてしまいました。「旧樹芽」の「설은 봄」の「설은」の活用はどうなっているんですか。

歌樽先生:今度は難しい質問がこちらに飛んできましたね。では、これを問題にしましょう。

第15問:次の中で詩中の「설은 봄」の「설은」と最も関連のないものはどれでしょうか。

1) 섧다   2) 서럽다  3) 설다   4) 썰다

詩子アナ:最も関連のあるものではなくて、最も関連のないものですか?最も関連がないかどうか分かりませんが、違うことだけは確かなものがあります。

第15問:答えは4)の「썰다:(野菜などを)刻む」です。

第12回

歌樽先生:そうですね。確かに意味が他のものとは全くちがいますからね。

第16問:では、「섧다」の連体形は次の内どれでしょうか。

1) 섧은     2) 서러운     3) 설운     4) 선

詩子アナ:「짧다:短い」は「짧은」ですから、1)の「섧은」のようですが、これでは易しすぎて問題にならないでしょうし、、

歌樽先生:問題を読む力はさすがですが、かなり困っているようですね。

詩子アナ:「서러운」は「서럽다」の連体形、「선」は「설다」の連体形、「섧은」でないとすると、「설운」が残りますから、、、自信はありませんが、

第16問:答えは3)の「설운」です。

歌樽先生:「ㅂ」変則で「설운」が正しい形ですね。「설」の下にさらにパッチムの「ㅂ」が付いたような形だと理解すればいいでしょう。

詩子アナ:では「설은 봄」というのは、本来は「설운 봄」でなければならないのですか。

歌樽先生:現在は「설운 봄」ですが、当時は「설은」がふつうに使われていたようで、金億先生の訳詩集『꽃다발』にも「설은 相思」、「설은 맘」などと書かれています。

詩子アナ:では「설움」は「설음」と書かれているのですか。

歌樽先生:その通りです。「나의 이 설음:私のこの悲しみ」「남의 설음을:他人の悲しみを」などの表記がなされています。

詩子アナ:「설은 봄」の「설은」と「설다 해도」の「설다」は同じ意味で使われているのですか。

歌樽先生:同じ意味だと思います。「섧다」の意味で「설다」がよく使われていましたから。同じ『진달래꽃』という詩集の本でも編集者が異なるため「섪다」、「섧다」とも書かれていますが、「섪다」は現在の表記法では「섧다」で、意味は「서럽다」と同じと考えられています。

これは「원통하고 슬프다」つまり「怨めしい、つらい、口惜しい、嘆かわしい、悲しい」という意味で使われます。一方、「설다」は「生煮えだ、手慣れていない、足りない、(眠りが)浅い」などの意味があります。この意味で理解している人もいるようですが、新旧の「樹芽」を比べると、後者の意味でないことは確かです。

詩子アナ:「旧樹芽」の後ろの2行が「新樹芽」では削除されていますが、これはなぜですか。

歌樽先生:では、この問題を考えてみましょう。

第17問:「旧樹芽」の以下の2行が「新樹芽」で削除されました。

  • 내가슴에도 봄이와서
  • 지금 눈을 트랴고하여라.

その理由と最も関連の深いのは次のどれでしょうか。

  • 1)「웬만한」の位置変更                    
  • 2)「설은봄」を「설다해도 」に変更
  • 3)「봄은 아니여」を「봄이안이어」に変更  
  • 4)「나무가지」を「나무도」に変更

詩子アナ:もう一度詩を比較して読んでみます。

旧樹芽新樹芽
웬만한 설은봄은 아니여!   
웬만한,
봄이안이어,
나무가지 가지마다 눈을텃서라,
내가슴에도 봄이와서
지금 눈을 트랴고하여라.
설다해도


나무도 가지마다 눈을터서라!

歌樽先生:何か分かってきましたか。

詩子アナ:分かったような、分からないような不思議な気持ちです。

歌樽先生:不思議な気持ちというのがいいですね。目が輝いてきましたね。もうこれは、間違いなく分かってきたということでしょう。では、言ってみてください。

第13回

詩子アナ:そう言われても、心の準備が必要です。「웬만한, 봄이안이어,」と言える理由は「나무도 가지마다 눈을터서라!」にあるので、そのことを、もう一度取上げて「내가슴에도 봄이와서 지금 눈을 트랴고하여라.」と言わなくてもいいようにしたのはどの語句かということですか。

歌樽先生:正解です。

詩子アナ:答を言っていないのに正解でいいのですか。

歌樽先生:詩とは流れも大切で、この流れからすると、もう正解以外は考えられません。

詩子アナ:ヤッター! 久しぶりにいい気持ちです。

第17問:答えは、2)の「설은봄」を「설다해도」に変更、です。

歌樽先生:もう少し説明できますか。

詩子アナ:もうこうなったら何でも来い!という心境です。恐いくらいです。

歌樽先生:これは大変なことになってきましたね。

詩子アナ:「樹芽」の詩のキーワードが「설다 해도」だったことを忘れかけていました。これで謎が解けました。危なかった!

歌樽先生:謎かけをしようとは思いませんが。

詩子アナ:まず、1)の「웬만한」の位置変更ですが、これは「웬만한,설다해도」という語順は成立しません。つまり、この位置変更が主ではなく、他の要因によって位置の変更をせざるを得なくなったものだと考えます。こうした理由で1)ではないことが分かりました。

次に3)「봄은 아니여」の「봄이안이어」への変更ですが、「春じゃないか」という基本的な意味に変わりありませんので、これが「旧樹芽」の最後の2行を削除した理由になるとは思えません。4)「나무가지」の「나무도」への変更は「나무가지 가지마다」の2つの「가지」を嫌ったもののようです。

歌樽先生:消去法できましたか。

詩子アナ:「설다해도」でなければならない理由があるんです。

歌樽先生:では、それを聞きましょう。

詩子アナ:「旧樹芽」の「설은봄」では「설은」は「봄」を修飾しているので、「春」と自分との関係がはっきりしていません。そこで、自分と春とのかかわりを「내가슴에도 봄이와서」と書いているのですが、「설다해도」とすると、この「해도」の中に自分との関係が出てくるので、「내가슴에도 봄이와서」という部分が不要になり、次の「지금 눈을 트랴고하여라.」ももちろん要らなくなった訳です。

歌樽先生:ずいぶん自信を持っていますね。

詩子アナ:分かってくると自信が出てきました。

歌樽先生:では、どこに推敲の余地があったのでしょうか。

詩子アナ:「내가슴에도 봄이와서、(直訳:私の胸にも春が来て)」という表現形式が古いと感じたからではないでしょうか。

歌樽先生:第9問の答「a) わが胸に春訪れぬ 今まさに芽を吹かんとす。」、「b) わが心にも春来り 芽は今まさに出でんとす。」と試訳したところですね。なぜ、古いのでしょうか。

詩子アナ:「내가슴에도」という表現で自然と自身との関係を単純に結びつけてしまうという古典的な方法から脱出したかったからではないかという気がします。

歌樽先生:なるほど、ずいぶん深くなりましたね。

詩子アナ:詩が精錬所を通って、純なものになったといった感じがします。

歌樽先生:もうすっかり詩人の域に達していますね。精錬所を通って、純なものになったというその感じは、素月自身が感じていたかもしれませんね。「설다해도」には「恨(ハン)」といわれる内容が含まれていると思われますから、ここを訳出することができればいいですね。

詩子アナ:この詩の理解に参考になる他の詩はありますか。

歌樽先生:参考になる他の詩ですか。では、こんな問題を出しましょう。

第18問:同じ金素月の詩集『진달래꽃』の中に「가지:枝」のあるものは次のどれでしょうか。

1) 楽天(낙천) 2) 父母(부모) 3) 万里城(만리성) 4) 紙鳶(지연)

第14回

詩子アナ:全部漢字のタイトルですね。「紙鳶」というのは何ですか。

歌樽先生:「紙凧(かみだこ)」のことです。

詩子アナ:紙凧には竹の枝が使われていますよね。

歌樽先生:使われているかも知れませんが、この詩では「가지:枝」は出てきません。

詩子アナ:「万里城」は「万里の長城」のことでしょうから、「枝」は無関係と考えると、「父母」でなければ「楽天」ということになるのですが・・・

歌樽先生:どちらでしょうか?

詩子アナ:確率は50%ということにして、気楽にやります。

第18問:1)楽天(낙천)、です。

歌樽先生:内容的には楽天的とは言い難いですね。読んでみましょう。

詩子アナ:「楽天 낙천」

  • 살기에 이러한 세상이라고
  • 맘을 그렇게나 먹어야지
  • 살기에 이러한 세상이라고
  • 꽃 지고 잎 진 가지에 바람이 운다.

歌樽先生:確かに「가지」がありますね。自由に訳してみましょう。

詩子アナ:少し時間が必要ですが。自由にということで、こんなふうに訳してみました。「楽天 낙천」

  • それもこれも世の定め
  • まことそうとも思わねば
  • それもこれも世の定め
  • 風も涙す裸木の枝

歌樽先生:直訳とはずいぶん違った訳詩になっていますね。何かヒントになったものがあるんですか。

詩子アナ:「살기에 이러한 세상이라고:(直訳)生きるにこんな世の中だと」ってなにかもっと言いたいに違いない感じがするんです。それで、これには何かあるのではないかと。

歌樽先生:何かありましたか。

詩子アナ:まず、「とかくに人の世は住みにくい」という夏目漱石の『草枕』の冒頭の部分を思い出しました。

歌樽先生:「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」に続く部分ですね。それで?

詩子アナ:生きづらさが極限に達していることを言おうとしたのではないかと思いました。『草枕』の方は人の世の生きづらさ、「樹芽」の方は置かれた状況での生きづらさを指しているのではないかと、こんな風に理解しました。

歌樽先生:「置かれた状況での生きづらさ」に思い至ったのはどういう理由からですか。

詩子アナ:「꽃 지고 잎 진 가지에 바람이 운다. (直訳: 花が散り葉の落ちた枝に風が泣く)」と言う表現が「人」中心ではないように思えましたから。

歌樽先生:なるほど。表現上はそうかも知れませんが、人を詠っている点では変りありませんよ。

詩子アナ:はい。分かりました。あの、ここで問題を自分で作ってみましたが、いいでしょうか。

歌樽先生:もちろん構いませんよ。

詩子アナ:では、お言葉に甘えて、問題です。

第19問:この詩は次のうち、どんな内容の詩でしょうか。

1) 断念  2) 忍耐  3) 希望  4) 転落

歌樽先生:なかなかよく考えられた問題ですね。4)は「楽天」の反対ということで「てんらく 転落」ということですか。

詩子アナ:はい、ヤッター! 久しぶりに褒められて最高です。

歌樽先生:「天楽 천락」と「転落 전락」は発音が違いますが、あとは、全てお任せましょう。

詩子アナ:いえいえ、全てといわれてもそれは困ります。この問題は自分で答えますが。

第19問:答えは2)の忍耐です。

第15回

歌樽先生:つまり、日本の統治下にある「忍耐」の時期であることが背景になっている詩であるという認識ですね。

詩子アナ:はい。「楽天」では「가지:枝」が風が泣く対象になっていますが、「樹芽」では「가지:枝」では枝ごとに「芽」が出ているので、「希望」見える詩だと、こんな風に思いました。

歌樽先生:これで「설다해도」の内容が掴めてきましたね。

詩子アナ:そんな気がします。

歌樽先生:イメージとしてこの二つの詩が繋がっていると考えれば理解しやすいですね。では、

第20問:「설다해도」とは何に対して「설다」と言っているのでしょうか。

詩子アナ:ここがポイントですたね。では、やってみます。

第20問:

  • ①日本が韓国を支配していたという時代的背景に対して
  • ②したいことができない社会的環境に対して
  • ③豊かな生活とは程遠い経済環境に対して
  • ④不遇な家庭環境に対して
  • ⑤もろもろの不条理・不満に対して

言いたいのに言えない重層的状況がこのような詩になったのではないかと思いました。

歌樽先生:当時は検閲が厳しかったですから、書きたいことが書けなかったというのは、日常茶飯事の時代でしたね。

詩子アナ:大変な時代だったのですね。

歌樽先生:おさえるべき所はおさえられているようですから、こうした観点を生かして「樹芽」を訳詩してみましょう。

詩子アナ:はい。気を引き締めて訳詩してみます。

樹芽

  • 설다해도 웬만한,
  • 봄이안이어,
  • 나무도 가지마다 눈을터서라!

木の芽 

  • 憂うも
  • まずは
  • 春は春
  • 木々も枝先ごとに芽が!

歌樽先生:なかなか新しい訳になりましたね。

詩子アナ:希望が見えるような訳になればと思いまして。

歌樽先生:「樹芽(수아)」を逆にすると「아수(明日)」になりますしね。もっとも、素月が意識していたかどうかは分かりませんが。

詩子アナ:音韻のことは考えていないのですが。

歌樽先生:訳詩がしっかりしていれば、音韻はあとから付いてくるものですから、気にすることはありません。

詩子アナ:ああ、そう言っていただいて安心しました。

歌樽先生:この近くに鴨料理のおいしいお店がありますので、そちらに行ってみましょう。

詩子アナ:えっ!スンデ料理ではなく、オリ(鴨)料理ですか。

歌樽先生:やはり、折々の料理を楽しむことも必要ですからね。

詩子アナ:あの、折り入ってお願いがありますが。

歌樽先生:ええ、分かっていますよ。すっかりスンデ料理の虜になったようですね。スンデもありますから、心配はいりませんよ。予約もすんでおりますよ。

詩子アナ:スンデとオリですか、安心しました。

Shaws and Goolees

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