闇の恐怖と山の神々

十里木のキャンプ場にクルマを駐車して自転車を組み立て、小滝と大滝を横に見ながら馬頭刈尾根をめざした。大岳山に続く稜線だ。登山口を出発したのは10時30分ごろで、林道が終わり、山道に入ったのが11時ごろだったろう。計画では2時間後に稜線に達する予定だった。

大滝で大岳山から下ってきた修験者の男女一行十数人とすれ違った。ホラ貝を持った修験者装束の男に、自転車をかついで1時間か、とあざ笑うように言われた。相棒の体力消耗がいつになく激しく、川沿いを沢登りのように続く岩場の手前で12時45分ごろ休憩をとった。昼食をとり、バーナーでコーヒーを淹れるまではいつもどおりだった。

ところが、せっかく淹れたコーヒーを僕が半分以上こぼしてしまった。振り返ると、あれが悪い前兆だったかもしれない。おいしいベトナムコーヒーなのに残念だった。午後1時半ごろ出発し、沢沿いの山道を自転車を押し、岩場はかつぎながら進んだ。その後、何組かの下山者とすれ違った。その1人は、自転車を持ってこれ以上登るのはムリだと語気強く言った。だが、僕らは計画どおりに登っていった。

相棒の遅れが時間とともにひどくなり、僕のいら立ちが激しくなった。彼の身体は何を言われても応じられない程度まで弱っていたのだが、僕は声を荒げて叱咤した。何度か、自分の自転車を置いて戻っては彼の自転車を押して登り、それを置いて、また自分の自転車を押して進んだ。

大岳山から御前山に続く稜線がくっきり見え、遠くの山々が雲に浮かんで見えた。そんな光景が夕焼けに燃えて消えると、急に風が肌寒くなった。暗くなる前に下山することはできそうにない。相棒は自転車を押す力もなくなり、山中に置いていくと言った。

道標にチェーンキーで自転車を固定するにもかなり長くかかった。体力の限界に達していたのだ。道標に立てかけた自転車からライトをはずすのにも時間を費やした。体ひとつになっても脚も上がらないし、歩行速度はさらに落ちた。御前山の方角に日が沈むと、急速に暗さを増した。彼の気力もしだいに萎えていった。

午後6時半を過ぎると、山中は真っ暗になった。自転車に付けたライトが照らすスポットの周囲が刻々と暗さを増し、漆黒の度合いが深まっていった。途中、何度か立ち止まって、後ろにいるはずの相棒の名を呼んだ。しかし、何度呼んでも応答がないことがふえた。一度などは、15分以上呼び続けて、ようやく闇の向こうに揺れるライトを見たが、近づいたかと思ったら消えてしまった。

いてもたってもいられず、彼が来るはずの山道を引き返した。その前後、恐怖はピークに達した。付近にはクマが棲息しているのだ。ライトが照らす闇の向こうに二つの眼が光ったら、と思うだけで恐怖が増し、相棒を呼び続ける声がしだいに怒気を帯びた。そんな状況のなか、30歳ごろに経験した闇の恐怖を思い出した。

夏の終わり、急に思い立って新宿発23時55分の中央線に乗ると塩山で降り、バスで西沢渓谷の登山口まで行った。そして、暗闇のなかを渓流の瀬音を崖下に聞きながら歩いた。

一時間ほど快調な足どりで歩いたものゝ、崖下に落ちる不安、何者かに襲われる不安などが重なって進めなくなり、倒れこむように山道の傍らに仰向けになった。

ところが、これが不安を倍加した。樹木が揺れる音が急に大きく聞こえ、野生動物の跫音になり、獰猛なヒトの気配になって襲ってきた。恐怖に震え、そこから逃れようとして、また歩き始めた。前回はひとりで今回は二人だったのに、同じような恐怖感に襲われた。

相棒が足を引っ張ったと思い修羅界に陥ったことが妄想を駆り立てたのだろう。数日前から得体の知れない何かに怒っていたのはお前ではないか。鶴脚峠にたどり着いたとき、茅倉方面に下ることを確認し、僕が先に下山してクルマで相棒を迎えに来ることにした。暗闇のなか、ハンドルに付けたライトだけを頼りに自転車を押し、飛ぶように駆け抜けた。

身体が震え、何度も転び、道を見失うたびに不安を募らせながら下った。動物的な感覚だけが、疲れきった身体と萎えた気持ちを衝き動かしていたといえる。遠く暗がりのなかに黄色い街灯を見たときは助かったと思った。街灯が見え隠れしながら、そのあとも長く暗闇のなかを駆け抜けた。

人家の灯が見え道路に出たのは、暗くなって約2時間後だった。公道に出ると、両輪に蔦がからまって異音を発しているのに気づいたが、直す気力もない。一刻も早く、クルマを停めてあったキャンプ場の駐車場に行かなければならないからだ。

途中、コンビニ教会に寄って、2L入り飲料を2本買い、司祭にキャンプ場の場所を教えてもらった。一気に飲料を飲み込むと、ようやく正気を取りもどした気がした。そこから駐車場まで、公道とはいえ暗がりのなか、相方の飲料を片手に、ふらつきながら走った。駐車場にゲートがなくて幸いだった。クルマに自転車を積むとすぐ発車し、途中、交番のインターホンでルートを確認して千足のバス停へと急いだ。

そこで相方と落ち合うことにしていた。9時過ぎに着いたが、彼の姿は見えない。何度か電話をして無事を確認し待ち続けた。9時40分ごろ、登山口付近に夢遊病者のような老人がふらつきながら現れた。暗くて判別できないが、顔面蒼白に見えた。彼が飲料を飲み込み、バス停近くにあった暗がりで着替えをし終えると、すでに10時を回っていた。とにかく、二人とも大きなケガなく無事でよかった。

山の神々に心から感謝の祈りを捧げたい。暗闇で感じた恐怖心は神々に対する畏怖心を映したものなのかもしれない。

2017年2月

Shaws and Goolees

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