[0]つれづれなるまゝに日ぐらしすずりにむかひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつくればあやしうこそ物くるほしけれ。
[1]いでやこの世に生れては願はしかるべきことこそ多かめれ。 帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も舎人などたまはる際はゆゆしと見ゆ。その子・孫までははふれにたれどなほなまめかし。それより下つ方はほどにつけつつ時に逢ひしたり顔なるもみづからはいみじと思ふらめどいと口惜し。 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。人には木の端のやうに思はるるよと清少納言が書けるもげにさることぞかし。勢猛にのゝしりたるにつけていみじとは見えず。増賀聖のいひけんやうに名聞くるしく佛の御教に違ふらむとぞ覚ゆる。ひたふるの世すて人はなかなかあらまほしき方もありなん。 人はかたち・有樣の勝れたらんこそあらまほしかるべけれ。物うち言ひたる聞きにくからず愛敬ありて言葉多からぬこそ飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の心劣りせらるゝ本性見えんこそ口をしかるべけれ。 人品・容貌こそ生れつきたらめ心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も才なくなりぬればしなくだり顔憎さげなる人にも立ちまじりてかけずけおさるゝこそ本意なきわざなれ。 ありたき事はまことしき文の道作文・和歌・管絃の道また有職に公事の方人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走りかき聲をかしくて拍子とりいたましうするものから下戸ならぬこそ男はよけれ。
[2]いにしへの聖の御代の政をも忘れ民の愁へ國のそこなはるゝをも知らず萬にきよらを盡していみじと思ひ所狹きさましたる人こそうたて思ふところなく見ゆれ。 衣冠より馬・車に至るまであるにしたがいて用ゐよ。美麗を求むることなかれとぞ九條殿の遺誡にも侍る。順徳院の禁中の事ども書かせ給へるにもおほやけの奉物はおろそかなるをもてよしとすとこそ侍れ。
[3]萬にいみじくとも色好まざらん男はいとさうざうしく玉の巵の底なき心地ぞすべき。 露霜にしほたれて所さだめず惑ひ歩き親のいさめ世の謗りをつゝむに心のいとまなく合ふさ離るさに思ひ亂れさるは獨り寢がちにまどろむ夜なきこそをかしけれ。 さりとて一向たはれたる方にはあらで女にたやすからず思はれんこそあらまほしかるべき業なれ。
[4]後の世の事心に忘れず佛の道うとからぬ心にくし。
[5]不幸に愁に沈める人の頭おろしなどふつゝかに思ひとりたるにはあらで有るか無きかに門さしこめて待つこともなく明し暮らしたるさるかたにあらまほし。 顯基中納言のいひけん配所の月罪なくて見ん事さも覚えぬべし。
[6]我が身のやんごとなからんにもまして數ならざらんにも子といふもの無くてありなん。 前中書王・九條太政大臣・花園左大臣皆族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるはわろき事なりとぞ世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御墓をかねて築かせ給ひける時もこゝをきれかしこを斷て。子孫あらせじと思ふなりと侍りけるとかや。
[7]あだし野の露消ゆる時なく鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならばいかに物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。 命あるものを見るに人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らす程だにもこよなうのどけしや。飽かず惜しと思はば千年を過すとも一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に醜きすがたを待ちえて何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ目安かるべけれ。 そのほど過ぎぬればかたちを恥づる心もなく人に出でまじらはん事を思ひ夕の日に子孫を愛して榮行く末を見んまでの命をあらましひたすら世を貪る心のみ深く物のあはれも知らずなり行くなん浅ましき。
[8]世の人の心を惑はすこと色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。 匂ひなどは假のものなるにしばらく衣裳に薫物すと知りながらえならぬ匂ひには必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の物洗ふ女の脛の白きを見て通を失ひけんはまことに手足・膚などのきよらに肥え膏づきたらんは外の色ならねばさもあらんかし。
[9]女は髪のめでたからんこそ人の目だつべかめれ。人の程心ばへなどはもの言ひたるけはひにこそ物越しにも知らるれ。 事に觸れてうちあるさまにも人の心をまどはしすべて女のうちとけたる寝も寝ず身を惜しとも思ひたらず堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶはたゞ色を思ふがゆゑなり。 まことに愛著の道その根深く源遠し。六塵の樂欲多しといへども皆厭離しつべし。その中にたゞかの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ老いたるも若きも智あるも愚かなるも変はる所なしとぞ見ゆる。 されば女の髪筋を縒れる綱には大象もよくつながれ女のはける足駄にて造れる笛には秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ傳へ侍る。自ら戒めて恐るべく愼むべきはこの惑ひなり。
[10]家居のつきづきしくあらまほしきこそ假の宿りとは思へど興あるものなれ。 よき人の長閑に住みなしたる所はさし入りたる月の色も一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど木立ちものふりてわざとならぬ庭の草も心ある樣に簀子・透垣のたよりをかしくうちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ心にくしと見ゆれ。 多くの工の心を盡して磨きたて唐の大和の珍しくえならぬ調度ども並べおき前栽の草木まで心のまゝならず作りなせるは見る目も苦しくいとわびし。さてもやは存へ住むべき、また時の間の烟ともなりなんとぞうち見るよりも思はるゝ。大かたは家居にこそ事ざまは推しはからるれ。 後徳大寺の大臣の寢殿に鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを西行が見て鳶の居たらんは何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそとてその後は參らざりけると聞き侍るに綾小路宮のおはします小坂殿の棟にいつぞや繩を引かれたりしかばかの例思ひ出でられ侍りしに誠や烏のむれゐて池の蛙をとりければ御覧じ悲しませ給ひてなんと人の語りしこそさてはいみじくこそと覚えしか。 徳大寺にもいかなる故か侍りけん。
[11]神無月の頃栗栖野といふ所を過ぎてある山里に尋ね入る事侍りしに遙かなる苔の細道をふみわけて心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる筧の雫ならでは露おとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
かくても在られけるよとあはれに見る程にかなたの庭に大きなる柑子の木の枝もたわゝになりたるがまはりを嚴しく圍ひたりしこそ少しことさめてこの木なからましかばと覺えしか。
[12]同じ心ならむ人としめやかに物語してをかしき事も世のはかなき事もうらなくいひ慰まんこそ嬉しかるべきにさる人あるまじければ露違はざらんと向ひ居たらんはただひとりある心地やせん。
互に言はんほどのことをばげにと聞くかひあるものからいさゝか違ふ所もあらん人こそ我は然やは思ふなど爭ひ憎みさるからさぞともうち語らはばつれづれ慰まめと思へどげには少しかこつかたも我と等しからざらん人は大かたのよしなしごといはん程こそあらめまめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
[13]ひとり灯のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするこそこよなう慰むわざなる。
文は文選のあはれなる卷々白氏文集老子のことば南華の篇。この國の博士どもの書けるものもいにしへのはあはれなる事多かり。
[14]和歌こそ なほをかしきものなれ。あやしの賤・山がつの所作もいひ出でつれば面白く恐ろしき猪のししも臥猪の床といへばやさしくなりぬ。
この頃の歌は一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど古き歌どものやうにいかにぞや言葉の外に哀れにけしき覺ゆるはなし。貫之が絲による物ならなくにといへるは古今集の中の歌屑とかや言ひ傳へたれど今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌にはすがた・言葉この類のみ多し。この歌に限りてかくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には物とはなしにとぞ書ける。新古今にはのこる松さへ峰にさびしきといへる歌をぞいふなるは誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらん。されどこの歌も衆議判の時よろしきよし沙汰ありて後にもことさらに感じ仰せ下されける由家長が日記には書けり。
歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれどいさや。今もよみあへる同じ詞・歌枕も昔の人の詠めるは更に同じものにあらず。やすくすなほにして姿も清げにあはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄の郢曲の言葉こそまたあはれなる事は多かめれ。昔の人はただいかに言ひ捨てたる言種も皆いみじく聞ゆるにや。
[15]いづくにもあれ暫し旅立ちたるこそ目さむる心地すれ。
そのわたりこゝかしこ見ありき田舍びたる所山里などはいと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。その事かの事便宜に忘るななど言ひやるこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ萬に心づかひせらるれ。持てる調度までよきはよく能ある人・かたちよき人も常よりはをかしとこそ見ゆれ。
寺・社などに忍びてこもりたるもをかし。
[16]神樂こそなまめかしく面白けれ。
大かた物の音には笛・篳篥常に聞きたきは琵琶・和琴。
[17]山寺にかきこもりて佛に仕うまつるこそつれづれもなく心の濁りも清まる心地すれ。
[18]人は己をつゞまやかにし奢りを退けて財を有たず世を貪らざらんぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。
唐土に許由といひつる人は更に身に隨へる貯へもなくて水をも手して捧げて飮みけるを見てなりひさごといふ物を人の得させたりければある時木の枝にかけたりければ風に吹かれて鳴りけるをかしかましとて捨てつ。また手に掬びてぞ水も飮みける。いかばかり心の中涼しかりけん。孫晨は冬の月に衾なくて藁一束ありけるを夕にはこれに臥し朝にはをさめけり。
唐土の人はこれをいみじと思へばこそ記しとゞめて世にも傳へけめこれらの人は、語りも傳ふべからず。
[19]折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。
物の哀れは秋こそまされと人ごとに言ふめれどそれも然るものにて今一きは心も浮きたつものは春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきてのどやかなる日かげに垣根の草萌え出づる頃よりやゝ春ふかく霞みわたりて花もやうやう氣色だつほどこそあれ折しも雨風うちつゞきて心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで萬にただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ梅の匂ひにぞいにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに藤のおぼつかなき樣したる、すべて思ひすて難きこと多し。
灌佛のころ祭のころ若葉の梢 涼しげに繁りゆくほどこそ世のあはれも人の戀しさもまされと人の仰せられしこそげにさるものなれ。五月あやめ葺くころ早苗とるころ水鷄のたゝくなど心ぼそからぬかは。六月の頃あやしき家に夕顔の白く見えて蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。
七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど鴈なきて來る頃萩の下葉色づくほど早稻田刈りほすなどとり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくればみな源氏物語枕草紙などに事ふりにたれど同じ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば筆にまかせつゝあぢきなきすさびにてかつ破り捨つべきものなれば人の見るべきにもあらず。
さて冬枯の景色こそ秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて霜いと白う置ける朝遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて人ごとに急ぎあへる頃ぞまたなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の寒けく澄める二十日あまりの空こそ心ぼそきものなれ。御佛名・荷前の使立つなどぞ哀れにやんごとなき公事ども繁く春のいそぎにとり重ねて催し行はるゝ樣ぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそ面白ろけれ。晦日の夜いたう暗きに松どもともして夜半すぐるまで人の門叩き走りありきて何事にかあらんことことしくのゝしりて足を空にまどふが曉がたよりさすがに音なくなりぬるこそ年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざはこのごろ都には無きを東の方には猶することにてありしこそあはれなりしか。
かくて明けゆく空の氣色昨日に變りたりとは見えねどひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま松立てわたして花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。
[20]某とかやいひし世すて人のこの世のほだし もたらぬ身にたゞ空のなごりのみぞ惜しきと言ひしこそまことにさも覺えぬべけれ。
『徒然草』という題名は百年後に付けられたものらしい。吉田兼好と呼ばれる作者の本名は卜部兼好、生年(弘安年間)は没年から逆算したものらしく詳しいことはわかっていない。Wikipedia には「執筆後約百年間は注目されなかったようで…現在は長年書き溜めてきた文章を1349年ごろにまとめたとする説も有力」とあり、この説が正しければ、死の少し前にまとめたことになる。没年についても1350年代ぐらいの確度らしい。