つれづれ草 11-20
[11]
神無月の頃栗栖野といふ所を過ぎてある山里に尋ね入る事侍りしに遙かなる苔の細道をふみわけて心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる筧の雫ならでは露おとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。
かくても在られけるよとあはれに見る程にかなたの庭に大きなる柑子の木の枝もたわゝになりたるがまはりを嚴しく圍ひたりしこそ少しことさめてこの木なからましかばと覺えしか。
[12]
同じ心ならむ人としめやかに物語してをかしき事も世のはかなき事もうらなくいひ慰まんこそ嬉しかるべきにさる人あるまじければ露違はざらんと向ひ居たらんはただひとりある心地やせん。
互に言はんほどのことをばげにと聞くかひあるものからいさゝか違ふ所もあらん人こそ我は然やは思ふなど爭ひ憎みさるからさぞともうち語らはばつれづれ慰まめと思へどげには少しかこつかたも我と等しからざらん人は大かたのよしなしごといはん程こそあらめまめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
[13]
ひとり灯のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするこそこよなう慰むわざなる。
文は文選のあはれなる卷々白氏文集老子のことば南華の篇。この國の博士どもの書けるものもいにしへのはあはれなる事多かり。
[14]
和歌こそ なほをかしきものなれ。あやしの賤・山がつの所作もいひ出でつれば面白く恐ろしき猪のししも臥猪の床といへばやさしくなりぬ。
この頃の歌は一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど古き歌どものやうにいかにぞや言葉の外に哀れにけしき覺ゆるはなし。貫之が絲による物ならなくにといへるは古今集の中の歌屑とかや言ひ傳へたれど今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌にはすがた・言葉この類のみ多し。この歌に限りてかくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には物とはなしにとぞ書ける。新古今にはのこる松さへ峰にさびしきといへる歌をぞいふなるは誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらん。されどこの歌も衆議判の時よろしきよし沙汰ありて後にもことさらに感じ仰せ下されける由家長が日記には書けり。
歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれどいさや。今もよみあへる同じ詞・歌枕も昔の人の詠めるは更に同じものにあらず。やすくすなほにして姿も清げにあはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄の郢曲の言葉こそまたあはれなる事は多かめれ。昔の人はただいかに言ひ捨てたる言種も皆いみじく聞ゆるにや。
[15]
いづくにもあれ暫し旅立ちたるこそ目さむる心地すれ。
そのわたりこゝかしこ見ありき田舍びたる所山里などはいと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。その事かの事便宜に忘るななど言ひやるこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ萬に心づかひせらるれ。持てる調度までよきはよく能ある人・かたちよき人も常よりはをかしとこそ見ゆれ。
寺・社などに忍びてこもりたるもをかし。
[16]
神樂こそなまめかしく面白けれ。
大かた物の音には笛・篳篥常に聞きたきは琵琶・和琴。
[17]
山寺にかきこもりて佛に仕うまつるこそつれづれもなく心の濁りも清まる心地すれ。
[18]
人は己をつゞまやかにし奢りを退けて財を有たず世を貪らざらんぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。
唐土に許由といひつる人は更に身に隨へる貯へもなくて水をも手して捧げて飮みけるを見てなりひさごといふ物を人の得させたりければある時木の枝にかけたりければ風に吹かれて鳴りけるをかしかましとて捨てつ。また手に掬びてぞ水も飮みける。いかばかり心の中涼しかりけん。孫晨は冬の月に衾なくて藁一束ありけるを夕にはこれに臥し朝にはをさめけり。
唐土の人はこれをいみじと思へばこそ記しとゞめて世にも傳へけめこれらの人は、語りも傳ふべからず。
[19]
折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。
物の哀れは秋こそまされと人ごとに言ふめれどそれも然るものにて今一きは心も浮きたつものは春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきてのどやかなる日かげに垣根の草萌え出づる頃よりやゝ春ふかく霞みわたりて花もやうやう氣色だつほどこそあれ折しも雨風うちつゞきて心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで萬にただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ梅の匂ひにぞいにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに藤のおぼつかなき樣したる、すべて思ひすて難きこと多し。
灌佛のころ祭のころ若葉の梢 涼しげに繁りゆくほどこそ世のあはれも人の戀しさもまされと人の仰せられしこそげにさるものなれ。五月あやめ葺くころ早苗とるころ水鷄のたゝくなど心ぼそからぬかは。六月の頃あやしき家に夕顔の白く見えて蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。
七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど鴈なきて來る頃萩の下葉色づくほど早稻田刈りほすなどとり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくればみな源氏物語枕草紙などに事ふりにたれど同じ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば筆にまかせつゝあぢきなきすさびにてかつ破り捨つべきものなれば人の見るべきにもあらず。
さて冬枯の景色こそ秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて霜いと白う置ける朝遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて人ごとに急ぎあへる頃ぞまたなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の寒けく澄める二十日あまりの空こそ心ぼそきものなれ。御佛名・荷前の使立つなどぞ哀れにやんごとなき公事ども繁く春のいそぎにとり重ねて催し行はるゝ樣ぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそ面白ろけれ。晦日の夜いたう暗きに松どもともして夜半すぐるまで人の門叩き走りありきて何事にかあらんことことしくのゝしりて足を空にまどふが曉がたよりさすがに音なくなりぬるこそ年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざはこのごろ都には無きを東の方には猶することにてありしこそあはれなりしか。
かくて明けゆく空の氣色昨日に變りたりとは見えねどひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま松立てわたして花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。
[20]
某とかやいひし世すて人のこの世のほだし もたらぬ身にたゞ空のなごりのみぞ惜しきと言ひしこそまことにさも覺えぬべけれ。